私の小児喘息がピタリと治ったある出来事について


自分ではそんな自覚まったくないのだけれども、母親に言わせると私は病弱だったようだ。

子供の頃から色んな病気をしたらしい。

病気は主に小学校に上がる前の話だから自分は覚えていない。

ただ小児喘息だけははっきりと覚えている。

小学校の高学年ぐらいまで出ていた。

発作が起こると息が出来なくなり、呼吸困難になる。

苦しくて夜も眠れない。

横になっていると苦しいので、体を起こして壁にもたりかかり、朝方まで起きていた。

一晩中、母親が背中をさすってくれた。

なかなか喘息が治らないので、名古屋の色んな病院を回った。

小児喘息の名医がいると知れば、どこまでも連れて行かされた。

私が名古屋の地下鉄に乗ったのは、たぶんその時が初めてで、今でも名古屋の地下鉄に乗ると、その時の記憶が蘇る。

どういうわけか、喘息は中学校に上がるとピタリと治まった。

たぶん、それ以降、一度も辛い発作は出ていない。

マラソンや水泳など激しい運動をした後、息が乱れ、1時間ぐらいゼェーゼェと言う事があったが、それで終わる。

基本的に治ってしまった。

アレルギー疾患の1つである小児喘息も、時代病的なところがある。

私の世代(昭和40年代生まれ)の人間で子供の頃、小児喘息だったという人は多い。

たぶん、大気汚染が社会問題となっていた背景があるのだと思う。実際に大気汚染が小児喘息を引き起こしているのか、それともそういう情報が心理的に悪影響を及ぼして、子供に喘息アレルギーを起こさせているのか。

シックハウス症候群が問題視された頃は、アトピー性皮膚炎の子供が増えた。

私の頃、アトピーの子供は見当たらなかった。

喘息発作で小学校の修学旅行に行けなった悔しい思い出

私は小学校の修学旅行に行けなかった。

前日の夜に喘息発作を起こしてしまったからだ。

吸入器を使って、発作は一時的に治まったが、大事をとって行くのを止めた。

私は「行けるから行かしてくれ」と半泣きで母親に頼んだ。

修学旅行は小学生にとって最大の記念イベント。それに参加出来ない悔しさが私の中にあった。喘息が出たらどうしようという不安より修学旅行に行けない無念さの方が強かったのだ。

しかし、母親は許可しなかった。

当然の判断だ。私も受け入れるしかなかった。

後日、私は両親と3人だけの修学旅行をした。

私の小学校の修学旅行先は「奈良、京都」

奈良と京都に父と母と私の3人だけで行った。

修学旅行の栞に書いてあるタイムスケジュール通りに清水寺や奈良の大仏をめぐり、みんなが泊まった同じ旅館に宿泊し、同じメニューの食事をした。

担任の先生から、どこで昼食をとったのかも聞き出し、同じ店に行った。

カツカレーだった。

3人だけの写真も撮り、木刀や煎餅のお土産も買った。

両親は修学旅行に行けなかった私を不憫に思い、精いっぱいの事をしてくれていたのだ。

しかし、私には全然面白くない修学旅行だった。

枕投げもなければ、クラスメイトとの集合写真もない。ただの家族旅行に過ぎなかった。

もう、喘息になんかなるものか、とその時強く思ったのだ。

・・・ああ、そうだ。

あれ以来、私は喘息発作を起こしていないのだ。

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