なぜ色覚異常は社会問題にならないのか?表面化しない色覚問題


色覚異常の事が新聞やテレビで取り上げられることはほとんどありません。

テレビおいて色覚異常はタブー視扱いされています。

一度テレビの生放送で、お笑い芸人が「色盲」という言葉を発っして、慌てて司会者が遮る場面を目にしたことがあります。

『色盲・シキモウ』

という言葉はテレビのいわゆる放送禁止用語になっているようです。

昨今はテレビで健康番組ばかりやっていますが、国内だけで300万人以上いる色覚異常について取り上げた事は私の知る限り一度もありません。

なぜでしょうか?

・色覚異常はたいした障害ではないから取り上げない?

・命に別状はないから取り上げない?

・一般の人は関心がないから?

まず、色が見えない事がたいした障害ではないというのは間違いだと私は考えます。

人間が自分の周りの世界を認識するのには視覚、聴覚、触覚という3つの感覚をメインに使っています。

その3つの感覚のうち最重要な感覚は視覚です。

参考:感覚統合における視・聴・触覚における重要度

人はたとえ指一本失っても日常生活において不便さを痛感すると思いますが、目が見えないハンデが一番キツイはずです。

障害のなかで視覚障害がもっとも重いというのも納得します。

では視覚のうち、色がまったく見えないことは、その人間が自分の世界を知る上でどれだけ不都合さを感じるでしょうか。

少しイメージしてください。

もし仮に正常な色覚を持っている人間が、朝起きて、突然色覚を失っていたらどうでしょう。

おそらくその人は何をやるにも戸惑うでしょう。

怖くて車の運転も出来ないでしょうし、女性だったら化粧も出来ず、服や靴選びも困ることになるでしょう。

今までの生活で、自分がどれほど色に頼っていたか実感すると思います。

視覚情報のうち、色の情報が世界を認識するのにどれほど重要な役割を果たしているのか、私自身が嫌というほど分かっています。色の情報はとても重要なのです。

色覚異常が大きく取り上げられない理由

当事者が声を上げない

もっとも大きな理由は色覚異常の人が、声を上げないというのがあります。

当事者が声を上げなければ社会問題にはなりません。

ただ、この声を上げない、というのも実は色んな理由が混ざっています。

例えば色覚検査でひっかかり、色覚障害があると判断される人達の中でも、その程度は人それぞれで一様ではありません。

色弱の人達は多くの色を感じていて、それが正常の人間とはあまり変わらないんじゃないか、と考えています。

そう思っていれば声を上げる事はしません。

また日常生活に不便さを感じていても、人に「自分が他人とは違う」と言う事をわざわざ公表する事もしないでしょう。

欧米人の色覚異常者は、自分の色の見え方との違いを他人に平気で聞いたりするそうです。

日本には同調圧力というのがあるので、なるべく周囲との違いに口を閉ざす傾向があると思います。

これでは顕在化するわけないのです。

専門家の研究不足と無関心さも一因

色覚異常の専門家は眼科医です。

しかしその専門家である眼科医が果たして色覚異常についてどれほど知識があるのか、また理解があるのか、私には甚だ疑問です。

私はかつて自分の色覚異常について大学の眼科医に詳細な検査をして貰いました。

その時、石原検査表やアノマロスコープ、パネルD-15テストをやりました。

その3つの検査をして、大学教授が私に言ったのは

「重度の色覚異常です」

「日常生活には支障ありません」

の二言だけでした。

この言葉を聞いて、眼科医が色覚異常に関して、まったく興味を抱いていないことがよくわかりました。

おそらく、治療の見込みがないと思われている色覚異常に関しては研究する価値がないと考えているのでしょう。

専門家が興味を示さない色覚異常が、メディアでクローズアップされるわけありません。

色覚異常が原因で、いじめに遭い自殺した少年、希望する職に就けずに絶望した青年、結婚の壁となった話、信号機を見落として事故死したケース、そういう事態は現実に起きています。

しかし教育の現場では色覚問題を真摯に取り扱ってもいませんし、社会のインフラとして信号機にユニバーサルデザインを適用してもいません。

これが現状です。

色覚障害の人が国内に3百万人超もおり、女性の10人に1人は色盲の遺伝子を保有している、という事実を考えれば、本当は社会全体の問題としてきちんと取り組まなければいけない話だろだろうと思います。

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