色盲の人間が正常色覚の世界を体験する方法


色盲の人間が、正常色覚の世界を体験することは不可能なのだろうか?

デカルトのコギト、「我思うゆえに我あり」は、

<すべてを疑え。自分が見ている世界すべても疑うのだ>

という意味である。

しかし、どんな人間も自分の見ている、この目の前の世界が虚構のものだとは考えない。

自分が見ている世界と、他人が見ている世界が大きく違う、だなんて思わない。

それは私だって同じこと。

たとえ夕陽が黄色に見え、ピンクの花を白いと感じ、葡萄を青く感じたとしても、それが間違いだとは思わない。

いや、正確を期すなら、私は頭では理解している。

自分が間違った色を見ていることを。

真実の色ではないことを。

しかし、それを実感することは難しい。

ところがである。

私は時折、正常な人間が見ているであろう、カラフルな色の世界をほんの瞬間、垣間見ることがある。

ああ、なんと美しい世界に彼らは住んでいることか、とうらやましくなる瞬間があるのだ。

色盲でも正常色覚の世界を体験できる瞬間

何気なくテレビを見ていて、気づいたことがある。

テレビで街の風景が映し出された時、街路樹の緑が濃く鮮やかに見えた。

車が走っている映像が映った時に、ブレーキランプが赤く感じた。

信号機の<青、黄、赤>も、私が実際に見ている色とは違い、テレビの中の信号機はとても奇麗で、3色の違いがはっきりと識別できる。

何故かはわからないが、テレビカメラを通して世界を見ると、ふだん、まったく見えていない色を見ることが出来るのだ。

これは写真でも同じ。

カメラで風景を映すと、その世界の色は鮮やかに見える。実際に私の目で見る世界は、もっとくすんだ曖昧な色合いなのに、テレビや写真の風景はとても美しい。

つまり、テレビや写真を見る事は、色盲の私が少しだけ正常色覚の世界を疑似体験できるということになる。

これはたぶん、他の色覚異常の方も感じていることだろうと思う。

明らかに違う。

このGoogleの文字は、上がPC画面のスクリーンショット。

下の文字がパソコン画面をスマホカメラで撮ったGoogleの文字。(カメラで撮ったので背景が暗くなった)

正常色覚の人間にどう見えているかは分からないが、色覚異常の人なら分かると思う。

Google 最後の2つの文字、l(エル)とe(イー)

lの色は緑で、eは赤。

上のGoogleの文字、私の目には、lとeの色はどちらもはっきりと区別できない。

強度の赤緑色盲なので、そうなる。

ところが、それをスマホのカメラで撮影すると、まったく違うのだ。

下のGoogleの文字は、lとeの色の違いをはっきりと認識できる。

なぜ、このような事になるのか。

カメラを通した世界と私がこの目で見ている世界がこれほど違う理由は、一応、私には推論があるが、別に機会に書こうと思う。

ただ、私が感じるのは、テレビで映し出されている世界、せめてその程度でいいので、現実に見えていたらどれだけ良かったか、ということだ。

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