私が30年前に食べたラーメン二郎は今の二郎と味が違う!?


『ラーメン二郎』と言えば、今や泣く子も黙る(!?)超有名なカルトラーメンですね。

熱狂的なファンをジロリアンと呼ぶそうですが、関連本なんかもいくつか出たりして社会現象にもなったりしました。

私はラーメン二郎に関してあまり詳しくないし、食べた回数もそう多くはありません。

だからもちろんジロリアンではないし、これは私の個人的な体験からの話です。

その辺りは了承してくださいね。

30年前のラーメン二郎と今のラーメン二郎は味が違う!?

私は約30年ほど前に「二郎」でラーメンを何度か食べました。

1989年、90年頃です。

慶應の三田校舎の近く、四つ角にあった店です。

当時はあそこしかなかったんじゃないかな。吉祥寺におやっさんの弟子が店を出しているとか、そんな話は耳に挟みましたが、本当かどうか知りません。

二郎と言えば、あの三田の角です。

客はほとんど慶大生です。しかも体育会系。たまに慶應OBの若いサラリーマンの姿もありました。

店内はカウンター席で、7、8人しか腰掛けられなかったと思います。

毎日、行列が出来ていました。10時には長蛇の列です。

並び方にも独自ルールがあって2列。「インとアウト」と呼んでいて、カウンターの両端から順番に座っていきます。

昼過ぎに列の後ろに並ぶのでは遅く、その日の麺が無くなります。麺がきれると、おやっさんが済まなそうな顔をして、

「スープだけでも飲んでいくかい?」

みたいな事を言ってくれました。

初めて二郎に行く際、すでに常連の友達が、

「注文の仕方があって、それ間違えると親父さんに怒られるぞ」みたいな嘘を私に言って、私をビビらせようとしました。それで頑固親父を想像しましたが、ご存じのようにとても気さくな店主でした。

よく二郎には注文の仕方を含め、独自ルールがある、なんて言われます。

『テーブルは自分で拭く、食べ終えたら丼を上げる、水は自分で注ぐ』みたいな事です。

しかしそれは別に大袈裟なルールではありません。

独自ルールは客サイドから自然発生的に出来たものだと思います。

親父さんと奥さんの2人だけでさばいているので、手が回りませから。客の気遣いでしょう。

当時は食券なんかなく、食べ終えたらお金をカウンターの上に置いて出ていきました。

私は大ダブル(麺が大でチャーシューが倍)をいつも注文しましたが、それでも値段は当時400円でした。

小豚だと300円ぐらいだったかもしれません。

ちなみにその小豚(麺もチャーシューも標準)でも一般的なラーメンの大盛ぐらいあり、チャーシューもたっぷりあります。

とにかく、滅茶苦茶安いんです。

30年と今は物価変わりません。

あれだと、たいした儲けにはならないはずです。

値段をすべて倍にしてちょうどいいぐらいです。それでも店には長蛇の列ができるでしょう。

二郎の親父さんは半分人助け、ボランティア精神でやっているのではないか、と思ったほどでした。それぞれの大学の前にはお金のない学生のために採算度外視でやっている安い食堂が1つぐらいあります。

二郎もそんな店でした。

肝心のラーメンの味ですが、これが美味しいのか、美味しくないのか当時よくわからなかったです(笑)

ただ言えることは食べている最中は脳内快楽物質、ドーパミンが出まくっていたということ。

一度食べたら、また食べたくなります。ということは美味しかったのでしょう。自然と体が欲するようになるんです。

ただ、二郎に行くときは、自分の体調が良くないと行けません。二郎でラーメンを食べるには臨戦態勢が整わないと、行けないのです。

まず、ゆっくりラーメンを味わうことは出来ません。

後ろで並んでいる客たちの無言のプレッシャーがかかります。

「トロトロ食べてんじゃねーぞ」という。

したがって丼に盛られている大量のチャーシューともやしと麺をいかに素早く胃に流し込むか、それだけに集中する必要があります。

味がよくわからないのは、たぶん、あのプレッシャーのせいかもしれませんね。

私は大学を卒業して東京を離れ、「ラーメン二郎」にはずっと行っていませんでした。

数年前、東京に行った時に20数年振りに二郎のラーメンを食べました。

カウンターには親父さんはいませんし、作っているのも若い方でした。

食券を買って、席でゆっくりと食べる二郎のラーメン。

食べながら、あれ、二郎のラーメン、なんか違うな、と思いました。

実際は味なんか変わっていないんでしょうけど。

脳内からドーパミンが出るようなラーメンではありませんでした。

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